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The Navigator: A Mediaeval Odyssey ウィザード

オーストラリア・ニュージーランド映画 (1988)

『The Navigator: A Mediaeval Odyssey』。直訳すれば、「ナビゲーター: 中世のオデッセイ」となる。かなり前に紹介した『Flight of the Navigator(ナビゲイター)』(1986)は、ナビゲーターを 空飛ぶ円盤の “操縦者” という意味で使っているが、ここでのナビゲーターは、幻視のできる “案内人” という意味で使っている。幻視ができるという意味で、当時の日本の担当者は、Wizard(魔法使い)をわざとカタカナ標記して「ウイザード」としたが、あまり良い邦題とは思えない。世界17ヶ国で公開されたが、ナビゲーター以外の題名を使ったのは日本だけ。映画の本質を誤解させる愚かな行為だ。そのため、これほど優れた作品が、日本ではほぼ無視され、興行収入についての情報はないが、VHSが出されただけで、DVDもBLもなく、完全に埋もれてしまっている。しかし、この映画は、国際SF・ファンタジー映画祭(ローマ)、シッチェス・カタロニア国際映画祭(スペイン)、ポルト国際映画祭(ポルトガル)、オーストラリア映画協会、ニュージーランド映画TV賞で最優秀作品賞を受賞した他、17の賞を獲得し、カンヌ映画祭でパルムドールにノミネートされている。だから、もっと評価されてしかるべき映画だと言っていい。2005年には本国でDVDが発売され、2018年にはブルーレイが発売、ネット上で新たな評論が多数見られるようになった。例えば2020年7月31日の「FICTION MACHINE」というサイトには、「ヴィンセント・ウォード(監督)の芸術的なファンタジー『ウイザード』は、オーストラリアとニュージーランドの共同製作で、どちらの国で製作された映画の中でも最も際立ち、印象深い作品です。その挑戦的なスタンスは、称賛すべきだと思います」と書かれている。一方、映画公開当時のニューヨーク・タイムズ紙(1989年6月28日)の映画評には、「結果的に、暗く、スリリングなファンタジーは、32歳のニュージーランド人ウォード氏を 最も創造的で権威ある若い映画製作者の1人とした」とある。現在も30年以上前も、高い評価を受けていることが分かる。この映画は、1348年のカンブリア〔現在のイングランド北端部〕が舞台。1346年にアジアから伝染してきた腺ペストが、地中海に入り、帆船〔ネズミの巣窟〕によって各地の港から拡がり、イングランド南部に “上陸” したのが1348年8月初旬。カンブリアの とある村の人々は、恐ろしい疫病が村に入って来るのではないと恐れていた。ペストは、ペストに感染したネズミが死に、そのネズミに寄生していたケオプスネズミノミが人を咬むことで人に感染する。14世紀の黒死病による死者数は、資料により様々だが、「HISTORY TODAY」の2005年3月3日に掲載されたオスロ大学の名誉教授Ole Benedictowの推計によると、1346~53年のパンデミックにより、5000万人、ヨーロッパの人口の60%が死亡したとされる。現在の新型コロナによる死者数は、2021年8月28日の時点で約448万人。これは現在の世界の人口約77億人の0.06%弱。それに比べると、60%(千倍!)という数値に驚かされる。この恐怖から逃れようとしたのが、幻視能力のある11歳のグリフィン。地下深くに掘り進み、大地の裏側まで行き〔当時は、地球は平らだと考えられていた〕、そこの教会に十字架を捧げればペストから救われるという啓示を得て、それを兄に伝え、村の4人を加え6人で採鉱の坑道に降りて行く。そこから、映画の副題にある『オデッセイ〔放浪と冒険の長い旅〕』が始まる。

1348年のカラブリアには、次第にペストの流行が近づいていた。村人は、その恐ろしさを聞いているので、戦々恐々としている。11歳のグリフィンの家では、もう大人になっている兄のコナーがペストの様子を探りに出かけてから36日経っても音沙汰なしだ。グリフィンは、まだ小さいのに、サール、その兄で知恵遅れのウルフ、マーティン、アルノと一緒に、銅の鉱山で村のために働いている。グリフィンには、夢を見て、吉兆の出来事を言い当てる才能があった。ペストの危機が近づいてから、グリフィンの見る夢はワン・パターンとなり、特殊な装置で穴を掘って地球の反対側に行き、大聖堂の尖塔のてっぺんにケルト十字のピナクルを立てることで、村をペストから救うという内容だった。ただし、そこには、尖塔に登る時、誰か1人が落ちて死ぬというのが恐ろしい予言が含まれていた。そして、墜落死の後は、湖に浮かぶ棺と、水面に浮かぶケルト十字が夢の最後だった。そうした中で、とうとう兄のコナーが旅から帰ってくる。グリフィンは大喜びで抱き着く。それが、どれほど危険な行為かは、その時点では2人とも気付いていなかった。コナーは、グリフィンの夢のことを聞き、4人の仲間を説得してグリフィンが主張した穴に入って行く。そこからは、映画はカラーに変わり、グリフィンの夢の中で、6人は4つのグループに分かれて行動する。①コナーは、大聖堂の尖塔にピナクルを立てる準備に、②グリフィンとサールたち4人はピナクルの鋳造所を探し、③ウルフは途中で置き去りに。②で鋳造が終わると、(a)グリフィンとサールとアルノは、コナーの手伝いに、(b)マーティンは鍛冶屋と行動を共にする。最後には、③のウルフを除き、5人が大聖堂に集まる。ただ、先に大聖堂に着いたコナーが先行して尖塔に登っていて、それに②(b)の現地の鍛冶屋3人が加わり、尖塔の上部までピナクルが吊り上げられる。この尖塔での場面は、グリフィンの夢の中でも最も重要な部分で、最初は謎に包まれていた内容も、次第に内容が鮮明となり、ピナクルを立ててペスト回避が成功した後に、誰が落下して死ぬかが確定したところで、夢は醒め、現実に戻る(映像は再び白黒に)。翌朝、グリフィンの夢の効果で、村はペストを免れていた。しかし、喜びも束の間、グリフィンは自分がペストに感染したことに気付く。兄コナーに抱き着いた時に感染したのだ。グリフィンは、夢の中で唯一死ぬのは自分自身だったことに気付く。そして、夢のお告げで、犠牲者は1人に留まることが保証されている旨を村人に説明して、安心させるようコナーに言い残し、自分は帰らぬ人となる。

ナビゲーター、ことグリフィンを演じるのは、映画出演初体験のハーミシュ・マクファーレン(Hamish McFarlane)。映画主演時11歳。ニュージーランド映画TV賞で主演男優賞を獲得、オーストラリア映画協会の主演男優賞でもノミネートされた。子役としての活躍はほとんどなかったが、その後、助監督として多くの映画やTVの製作に携わり、現在に至っている。シドニー・モーニング・ヘラルド紙の1988年11月25日付けのインタビュー記事(右下の写真)によれば、①最初の何週間は、演技指導、台詞、方言(アクセント)の練習、リハーサルが続き、それはそれで 全員がまとまったが、いざ撮影が始まると、夜間の長い撮影で生活のリズムが崩れ、映画の内容が内容だけに、何が本当の現実で、何が映画の現実かがごっちゃになってしまった。②こうした感情的にストレスに加え、肉体的なストレスもひけを取らなかった。彼は、映画の最重要シーンで、オークランド大聖堂の尖塔での撮影を、他の俳優と一緒に こなさなければならなかった。ボートのシーンでは、同乗していた馬が制御不能に暴れた上に、午前2時に凍えるような真冬の海に飛び込まなければならなかった。③4ヶ月間、セットの全員がカンブリア方言で話していたため、男子生徒の現実に戻ることは難しく、監督は、“元に戻す” ため、ハーミシュを2週間ウェリントンに連れていった。④出演料の一部でハーミシュはビデオカメラを購入した〔これが、彼を現在の職、助監督にする端緒となった〕

あらすじ

夜、満月を見上げる少年グリフィン。いつしか目を閉じ、画像が白黒からカラーに変わる。そこで見る “夢” は、①崖(穴の縁)に立った6人が、1本の松明を穴に投げ込むシーン。グリフィンが目を開け、再び目を閉じる。そこでは、6人組が木で作った “機械” を使って岩に穴を掘っている。そして、大聖堂の尖塔が見え、左手に皮手袋をはめた誰かが梯子を登っていく。グリフィンが下から、「登らんで〔登らないで〕!」と叫ぶ。そして、尖塔が二重になった映像の前を、尖塔にかけた梯子を登る男が映る(1枚目の写真、矢印は不明の人物、左下のピンクの★印は、このシーンが グリフィンの夢想であることを示す)。グリフィンが 尖塔内部の螺旋階段を駆け上がる。皮手袋をはめた誰かの手が離れる。そして、落ちていく。尖塔の天辺に十字架が立つ。そして、木の箱が水面に押し出され、水面には同じ十字架が映る。「グリフィン」と、何度も呼ぶ声が聞こえる。次に、子供の声が、「グリフィン、起きれや〔起きろよ〕!」と叫ぶと、グリフィンの顔に “雪つぶて” がぶつけられる。グリフィンが目を開ける(2枚目の写真)。グリフィンは、「僕が、ないしてんのや〔僕が、何したってんだ〕」と、自分に雪をぶつけた、自分より小さい子に文句を言う。すると、そこにいた母から、「何度も呼んだどん、起きらんかったわね。今週で、もう4回目じゃ〔何度も呼んだのに、起きなかったわね。今週で、もう4回目よ〕!」と注意される(3枚目の写真)。会話は、監督がわざわざカンブリア方言を出演者全員に強いたことに鑑み、鹿児島弁で話させることにした。前回、リヴァプールを博多弁にしたので、それより北に離れたイングランドの北端カンブリアなので、東京からみた最南端の鹿児島にしてみた〔沖縄は島なのでカンブリアの雰囲気とは違う〕
  
  
  

グリフィンの家では、祖父母が話している。祖母は、「こん前ん月曜にこけ来た旅商人と話しちょったら、こげんこっをゆったんじゃ。『朝ご飯ん時、腕に瘤があったや、お昼までにけしんじょる』〔この前の月曜にここに来た旅商人と話してたら、こんなことを言ったのよ。『朝ご飯の時、腕に瘤があったら、お昼までに死んでる』〕」って(1枚目の写真)〔「MSDマニュアル」には、こう書かれている。『腺ペストの症状は、感染後数時間から12日後に現れます(通常は2~5日後)。発熱の少し前か同時に、ノミに咬まれたり引っかかれたりした部位の近くにあるリンパ節が腫れて痛くなります。これらの腫れたリンパ節は、横痃(おうげん)あるいは横根(よこね)と呼ばれます。治療を受けないと、通常は3~5日目に、60%以上の人が死亡します』〕〔旅商人の話は少し極端過ぎる〕。それを聞いた母は、グリフィンの兄のコナーのことを心配する。外界に出かけたまま長い間帰ってこないからだ。それを聞いたグリフィンは、「僕が捜しに行っじゃ。明日、出かくっ〔僕が捜しに行くよ。明日、出かける〕」と言うが(2枚目の写真)、母は、「太陽が西ん壁におっ。遅れてしまうんじゃ〔太陽が西の壁にいる。遅れちゃうわよ〕」と、鉱山での仕事に早く行けと言う〔この時代、太陽は天空の星だとは考えられていなかった〕。そのあとで、祖父がグリフィンに話す言葉が面白い。「夢ばっかい見とっと〔夢ばかり見とると〕、ボロしか着れんぞ」(3枚目の写真)。この時使われた英語は、「be clothed in rags」。参考までに、この句は、諺の「It is better to be clothed in rags than to be clothed with shame〔恥を着るより、ボロを着る方が良い〕」で使われる言い回しの一部。この諺ではボロは良い事になっているのに、祖父の言葉では悪い事になっている。祖母は、「おさなごに構うんじゃなかよ」と、グリフィンを庇う。
  
  
  

グリフィンは木で編んだ大きな籠を背負うと、村の小道を駆け上がって行く(1枚目の写真、村の様子がよく分かる、ピンクの→矢印は常にグリフィン)。少し登るとサールとウルフの家の前。屋根にサールが上り、長い魔除けを屋根に付けている(1枚目の写真の空色の矢印、空色の矢印は常にサール)。グリフィンは、サールに 「前んじゃ、まだ小さ過ぎたと〔前のじゃ、まだ小さ過ぎたの〕?」と訊く。「黒死病がここまで来たや、守らんなな〔黒死病がここまで来たら、守らんとな〕」。そして、下にいる太った知恵遅れの兄ウルフに 「遅れちょっじゃ〔遅れてるよ〕。ほら、行こうや、食いしん坊」と声を掛ける〔ウルフはサールの兄。俳優の年齢差は17歳もあるが、そんなにあるようにはとても見えない〕〔ウルフ役のNoel Applebyは、『ロード・オブ・ザ・リング』で、フロドの近くの家に住んでいたデブで片意地なホビットを演じた〕。サールは、グリフィンに 「わいは、首に鈴んちた羊じゃな〔お前は、首に鈴のついた羊〔bellwether〕だな〕」と言う〔bellwetherには、先導者の意味もあり、これは結果的に当たっている〕。そして、雪の積もった巨大な山を前に コナー、サールとウルフ、それにマーティンの4人が鉱山へと向かう。下に、「カンブリア、1348年3月」と表示される(2枚目の写真、矢印はコナー)。マーティンは、「死は、東方からやって来て、多うんしを殺し〔多くの人を殺し〕、近ぢてきちょっ〔近づいてきている〕。旅商人は、『何百人もが、あっちゅう間にけしんだ〔あっという間に死んだ〕』て ゆちょった〔言ってた〕」と、3人に話す。4人は、坑道にロープで降ろす巨大な木の歯車のところまで来る。グリフィンは、ひょっとして兄が戻ってきた形跡はないかと村の方を振り返る(3枚目の写真、歯車の前に立つ矢印がグリフィン)。その前にいるサール(空色の矢印)は、「行けや、グリフィン。コナーが戻ったや、クリシー〔歯車係〕が教えてくるっ」と言い、クリシーも、「気に病んな。コナーは賢か。世渡りも巧い。大丈夫や」と励ます(4枚目の写真)。
  
  
  
  

グリフィンは、歯車の軸に巻き付けられたロープに縛り付けられて下降を開始する(1枚目の写真)。クリシーが、「奈落まで下りて行け。鉱山できばれや〔鉱山で頑張れよ〕」と声を掛ける(2枚目の写真)。坑道に降りたグリフィンは、まだ小さいので働いているとは思えない。木の棒をナイフで削っている。そんなグリフィンに、サールが、「コナーが出かけてから何日経つ?」と訊く。「36」。「耐ゆっど〔耐えるんだ〕。仕事で、心配なんか追い払え」。しかし、仲間同士の話になると、サールは、「コナーん立場にはなろごたなか〔コナーの立場にはなりたくない〔be in his shoes〕」と話し、それがグリフィンにも聞こえる。しかし、その時、上からクリシーの声が響き渡る。「グリフィン、コナーだぞ!」(3枚目の写真)。坑道の中が喜びに沸く。
  
  
  

坑道から出る歯車のロープには、グリフィンだけでなくマーティンもぶら下がる(1枚目の写真、矢印、下にはマーティンの顔も)。外に出たグリフィンは、コナーの呼ぶ声に、「コナー!」と喜んで叫ぶ(2枚目の写真)。そして、コナーの所まで走って行って、飛びかかり、抱き抱えられる(3枚目の写真、黄色の矢印は常にコナー)。それが、どんなに危険なことか、お互い、全く認識せずに。
  
  
  

その夜、村の集会が開かれ、コナーが外界で見聞したことを報告する(1枚目の写真)。「おい〔俺〕は、さすらう人々を見た。埋むっし〔埋める人〕がおらんで放置された多うん〔多くの〕死体を見た。終油ん秘蹟を拒んだ群衆が、僧侶たちを教会から追い出すんを見た。西へ向かうさすらう人々は、それらん僧侶たちやった。人々は、もはや動物と同じやった。だい〔誰〕も信用なんかできん。子供たちに食べ物をねだられた。おいは、近寄っとを避けた。子供たちん脇ん下には膿で満たされた黒かおできがあり、はじくっ寸前やったが、みな病気じゃなか〔病気じゃない〕と主張した。悪は、そいでも満足せず、満月ごとに前進を続けちょっ。あと1・2ヶ月で おいたちん村に到達すっじゃろう」。ここで、マーティンが、「おいたちはやるっさ〔やれるさ〕。教会まで行き、カンブリアん銅で作った十字架を高う掲ぐっど。わい〔お前〕さんかサールのどっちかが、おいたちを率いて行けや」と提案する。どちらかに決まる前に、「湖に略奪者や!」の警報が発せられる。村人たちは長い木の棒〔槍?〕を持って浅い湖に入って行き、略奪者の小さな帆船に向かって攻撃(2枚目の写真)。弓隊は、火矢を帆に向かって放つ。しかし、攻撃後に判明したことは、乗っていたのは東から逃げて来た女性と子供だった(3枚目の写真)。しかし、そこにはペストによる死が潜んでいた〔全員が罹病〕。ここで、アルノという村人が、「鉱山ん後ろに古か穴があっち聞いたこっがあっ。穴はわっぜ〔すごく〕深うて、石を投げたや〔投げたら〕、遅かれ早かれ 地球ん反対側に抜けっげな〔抜けるそうだ〕」と言い出す。それを聞いたマーティンは、「地球ん反対側にあっ教会に、立派な献納品を持って行かんな〔行かないと〕」と言う。この映画の村人には、地球は平らで、穴を通って裏側に行くという発想があったからだ。それは、この映画が1988年に作られたからであろう。私も正直、今まで知らなかったのだが、この度(たび)、大英図書館の中世の写本解説(BRITISH LIBRARY/Medieval manuscripts blog)(https://blogs.bl.uk/)の2018年5月24日付けの「地球は、実は、丸い(The Earth is, in fact, round)」という記事を呼んで びっくりした。最新の研究によれば、中世においても地球平面節は非常にマイナーだったそうだ。古代ギリシャでは地球が球体であることは常識とされていたが、中世でもそうであった。有名な聖職者Venerable Bede(672か673年~735年)は、723年か725年に、彼の生徒たちに以下のように話した。「同じ日々の長さが等しくない理由〔季節による日照時間の違い〕は、地球の丸さにあり、教典や凡書の中で『世界のオーブ(十字架が上に付いた球形の宝珠)』と呼ばれているからではない。それは、実際には、全宇宙の中央にある丸い物体である。単に、盾のように丸いとか、車輪のように広がっているのではなく、より球に似ており、あらゆる方向に等しく丸みを帯びている」(Bede, The Reckoning of Time, Faith Wallis訳, リヴァプール大学出版局, 1999, p.91)。この有名な文章は、11世紀後半もしくは12世紀初頭にイングランドかノルマンディーで書かれた『De Temporum Ratione』という本に、Bedeに同じ文面が見られる(右上の古書籍の写真)(http://www.bl.uk/manuscripts/Viewer.aspx?ref=royal_ms_13_a_xi_f062r)。このことは、8世紀だけではなく、11・12世紀にも「地球は丸い」ということが認められていたことを意味する。



そんな中、グリフィンがいきなり、「助けて!」と叫んで倒れる(1枚目の写真、矢印は主役の3人)。グリフィンは、松明がアルノの話していた “穴” に落ちて行く様を幻視する(2枚目の写真)。そして、さらに、6人が力を合わせてトンネルを掘る機械を斜面に降ろしていくところも(3枚目の写真)。そして、大聖堂の尖塔、水に映る十字架」。母から、「グリフィン起きやんせ〔起きなさい〕!」と声を掛けられたグリフィンは、「夢ん中で、僕らは地球ん奥深うでトンネルを掘っちょった」と話す。サールが 「また、空想にふけっちょったんか?」とからかうと、母は、「夢ん中には啓示があっわ。前にも正しかった。昨年ん穀物ん病気も、穴で見つけた銅ん鉱脈も。忘れたと?」と、サールを責める。
  
  
  

グリフィン:「じゃあ、僕ら 旅に出っと?」。コナー:「そうじゃ。おいはわいと一緒に行っ。こんた〔これは〕おいたちが生き延びらるっ唯一ん機会や」(1枚目の写真)。それを聞いたマーティンは喜ぶ。そして、いよいよ出発。アルノが、村に伝わる小型のケルト十字を運ぶ。一行は、コナーを先頭に、グリフィン、アルノ、マーティン、サール、そして役立たずのウルフが最後尾(2枚目の写真、複数の矢印)。次のシーン、グリフィンはどこか分からない場所にいる。出発したのが夜なので、屋外なのか、坑道の中かも分からない。グリフィンは立ち止り、何かを見つめる。コナーが、「どげんした?」と訊く。「前にもゆったじゃろ〔言っただろ〕。地球を貫通すっトンネルを掘っど。みんなで。機械を使うど。岩を砕いて立て坑を掘っ機械や。そいを使えば、満月までに穴を掘るっ〔掘れる〕」(3枚目の写真)。それを聞いたサールは、「月に惑わされたか?」と意地悪を言うが、グリフィンは、「ちごっ〔違う〕。本当じゃ。夢に見た。何度も。大きな真っ黒な穴も絶対にあっ」と、強く反論する。すると、マーティンが穴を見つけ、みんなを呼ぶ。しかも、その近くには、今まで見たこともない機械が斜面に置いてあった。コナーが、「こんた〔これは〕一体何や?」と驚くと、まだ懲りないサールは、グリフィンを、「わい〔お前〕、全員を夢遊病にかけたな」と貶(おとし)める。「じゃっどん〔でも〕、僕、これまで一度も こけ〔ここに〕来たことなかじゃ」。弟思いのコナーは、「わいん〔お前の〕夢と同じじゃな。世界ん反対側へん道か」とサポート。グリフィンが、松明を投げ入れる。夢と同じように。それは、どこまでも垂直に落下していく。
  
  
  

次のシーンが、最初観ている よく分からない。それは、垂直の穴と、6人が機械で掘り進む斜めのトンネルとの関係だ。斜めにトンネルを掘るのなら、なぜ、垂直の穴が必要なのだろう? これは、映画を最後まで見ると理解できる。1枚目の写真で、機械を使って斜めに掘っているトンネル。これは、カラー映像なので、実際に掘っている訳ではない。グリフィンの頭の中で進行していることで、現実ではない。一方、垂直の穴は白黒映像なので、こちらは実在する。1枚目の掘削シーンの後、白黒に戻り、グリフィンが、ウルフに 「だがな、グリフィン、2日掘った後で、わい〔お前〕さんな反対側から真っ逆さぁに落ちっど。空に向かって。ダニにごっ〔ダニにように〕しがみつかん限り」と言われる。グリフィンは、知恵遅れのウルフの意見は無視し、「思うちょったより深かった。アルノんロープん3倍ん長さかち思うたばっ、6倍や。そん前には〔その前には〕、反対側とん間にあっ硬か岩を打ち破らんな〔破らないと〕」と話す(2枚目の写真)。これは白黒映像なので、作業は何も行われていない。ただグリフィンが夢の内容を話しているだけ。そして、カラー映像に戻り、機械を用いた作業に戻る。機械が最後の硬い壁を突き破ると、そこにあったのは、人工のトンネルだった。「何かが死んどるぞ」。「何だこの臭いは? ひどい悪臭だ」(3枚目の写真)。コナーが、「屎尿(しにょう)のトンネルだ。大都市だけに作られてる。どの家庭も汚物を捨てられる地下の下水渠なんだ」と言う〔1348年の段階で、機能している屎尿用の下水渠のある都市は、イングランドにあったのだろか? 『Sustainability』の論文「The Historical Development of Sewers Worldwide(世界の下水道の歴史)」(2014, vol.6, pp.3936-3974)(www.mdpi.com/journal/sustainability)によれば、イタリアのファーノとパヴィアの町には、古代ローマの下水渠が14世紀まで使われていた。また、パリでは市長のHughes Aubriotが1370年にモンマルトル通りの開渠下水道を初めて地下化し、翌年3地区が加わった。しかし、コナーが海を渡ってヨーロッパまで行ったとは思えない。イングランドのヨークではChurch Streetの下に古代ローマ期の下水渠(AD2-4世紀以前と推定)が発見されたが(右の写真)、イングランドに作られた古代ローマ期の下水渠はローマ風呂の排水用で屎尿は流れない。ロンドンで屎尿を流すクロスネス下水溝の工事が始まるのは、何と1859年に入ってから。それまでは、市内の蓋のない下水渠に屎尿が垂れ流しにされていた。だから、コナーの発言は間違い〕
  
  
  

グリフィンは、怖れることなく、悪臭に満ちたコンクリートの下水管の中に入って行く。やがて、前方に光と梯子が見えてくる(1枚目の写真)。グリフィンは鉄梯子を登る。トンネルの手前で待機していた5人の耳に、グリフィンが、「空が見ゆっ! 星や! 満天ん星や!」と叫ぶ声が聞こえる。5人は「やった!!」と歓喜の声を挙げる。全員が梯子を上り、地表に出ると、そこに見えたのは一面の光。彼らが見たこともないような光景だった(2枚目の写真)〔20世紀末のニュージーランド最大の都市オークランド〕。それを見たグリフィンは、「僕ん夢に出てきた街や」と喜ぶ(3枚目の写真)。ここで面白いのは、多数の電気の光を見たアルノが、「10万もん松明や」と言い、それを受けて、マーティンが、「どれだけん獣脂〔油燈に使う〕が要っか考えてみぃや」と言う場面。
  
  
  

一行の行く手に現れたのは高速道路。意味も分からないまま先頭をきって渡り始めたのは、臆病者のウルフ。彼が、魅了されたのは、光が凄い勢いで動いていること。それに伴う危険には全く気付いていない。兄のサールが、「いっき〔すぐに〕戻って来え!」と叫んでも、高速の光に見とれている。すると、進路妨害になってしまい、減速したトラックや乗用車から警笛を鳴らされながら走ることに(1枚目の写真)。中央分離帯のない道路の中央で立ち往生して おろおろしている知恵遅れのウルフを、サールが元の側に連れ戻す。コナーは、グリフィンに、「ここを渡っとな?」と訊くが、「覚えちょらん」という返事(2枚目の写真)。それでも、コナーは、大聖堂があるとしたら、光輝く街の方なので、「カラスが飛ぶごっ〔飛ぶように〕行っど」とグリフィンに確かめ、「そうじゃ」と強い賛同を得ると、コナーは、全員に呼びかけて道路を横断することにする。しかし、高速で走る車を縫っての横断は極めて危険な行為だった(3枚目の写真)。途中で何度も立ち止まっては、猛スピードで突っ走る車を避けつつ、やっとのことで渡り切る。しかし、結果として、臆病者のウルフは1人取り残されてしまう。自分が渡り切ってから 「ウルフはどこじゃ?」と言うサールは、弟として実に無責任。普通なら、ダメ兄貴を守って一緒に行動すべきなのに。コナーは、「ここで 別れよう。おいは大聖堂に行っ。一緒におったや〔一緒にいたら〕、尖塔に釣り上ぐっ準備が間に合わん」と言い出す。これに対し、サールは 「兄を置いていけん」と反対する。その自分勝手な態度に、コナーは 「ウルフか村かじゃ!」と諫め、「あんたが指揮を取れ。鋳造所を見つけ、十字架を鋳造し、大聖堂まで持って来っど」と命じる。二流の人間、サールは、「指揮を取っ? 鋳造所を見つくっ? こげん場所で?」と文句を言う。「鼻を使えばよか。どげん大きな街でん、鋳造所は臭かで分かっ」。そして、グリフィンを置いて行こうとする。グリフィンが、「約束したじゃらせんか〔約束したじゃないか〕! いつも一緒におって〔一緒にいるって〕!」と非難すると、頬を叩かれ転倒する。そして、運悪く落ちていたガラス片で手を怪我してしまう。
  
  
  

4人が裏寂れた倉庫街の道路を歩いている。サールがグリフィンに、「わい〔お前〕ん夢ん中で、おいたちん助けになったり、危険を知らすっようなものがあったや、ちゃんと知らすっど!」と、強い調子で命令する。グリフィンは、「すべてが分かっ訳じゃなか!」と こちらも強く反論する。その時、4人の後方からピックアップトラックが近づいてきた(1枚目の写真)。「ないか知っちょるんなら、おいたちにちゃんと警告せー!」と、グリフィンを突き飛ばす。お陰で、グリフィンは猛スピードでやってきた無謀運転のトラックにぶつかりそうになり、アルノが接触して倒れる(2枚目の写真)。怒ったサールの投げた石は、トラックの左の窓を割るが、車はそのまま走り去る。その騒ぎに3人の地元民が掛けつける。「何て奴だ、停まりもせん」(3枚目の写真)。
  
  
  

3人のうちの1人は、4人の異様な姿を見て、「こいつら、クリシュナ教徒〔ヒンドゥー〕か?」と言うと、3人の中のボスが、「しばらく茂みん中にいたみたいだな」と 常識的なことを言う。グリフィンは、目を閉じると、「臭いがする。コナー、見つけたよ… 鋳造所だ」と言う(1枚目の写真)。ボスは、グリフィンの手のケガを見ると、「おいで、工場で手当てしよう」と連れて行く。サールは、ようやく相手が鍛冶屋だと気付き、一緒に付いて行く。工場に着いたボスは、グリフィンの傷に包帯を巻きながら、「移住してきたばかり〔fresh off the boat〕なんだろ?」と訊く。サールは、「銅、鋳造すっ、今すぐ」と言う。それを聞いたグリフィンは、ボスに、「コナーは、あた〔あなた〕が十字架を鋳造してくるっじゃろうちゆちょった〔鋳造してくれるだろうと言ってた〕。僕らを助けやんせ〔助けてよ〕。でなかと村がなっなってしまう〔でないと村がなくなっちゃう〕」と頼む(2枚目の写真)。最初にクリシュナ教徒云々と言った男が、「銅だと?」と訊く。「そう、銅や。おいたちんために鋳造してくれ」。横では、サールとウルフが、持参した短いケルト十字の端部を磨こうとするが、機械の使い方が分からない(3枚目の写真)。
  
  
  

2人からケルト十字を取り上げたボスに、グリフィンは、「鍛冶屋どん、お願い 僕らを助けて。十字架を鋳造して」と、すがるように頼む。しかし、ボスは、「お前さんが求めてるのが鋳造なら、悪いが、もう工場は閉めたんだ。教会のせいでな。教会はピナクル〔小尖塔〕の鋳造を依頼してきた。だから、足場を立ち上げ、金が支払われるのを何ヶ月も待った。だが、金がないんだ」。マーティンは、「教会が貧しか?」と驚く。「ご時世だからな」。ボスが、村のケルト十字を、教会のピナクル用に準備してあった砂型に入れると、ぴったり合う(1枚目の写真)。これには、ボスがびっくりする。グリフィンは、「銅を注ぎたもんせ〔注いで下さい〕、お願い」と、もう一押しする。ケルト十字が砂型と100%一致したので、ボスは、「教会が君らを寄こしたのか?」と訊く。誰からも返事がないので、「君らは一体誰なんだ?」と再度訊く。サールは、村から持って来た銅鉱石を床に置く。ボスは、鉱石が良質なのに驚く。「ああ、カンブリアん銅や」。砂型との一致、プラス、良質の銅鉱石を見たボスは、閉鎖する工場の最後の仕事として鋳造に協力することに。型に流し込まれた灼熱の銅は、上部のケルト十字は同じだが、下部は長く伸びて人間の身長よりも大きなものになる(3枚目の写真)。ボスは、明日まで自然冷却する積りだったが、今夜中に取り付ける必要があるので、サールは水冷を要求する。無料の仕事に要求が多いが、工場の3人は、①貢物という概念、②どうせ工場は閉鎖する、③グリフィンの必死のお願い、の3つから協力することに。参考までに、尖塔上のピナクルにケルト十字を用いた例として、ニュージーランドのクライストチャーチ大聖堂の拡大写真を右に示す。オークランド大聖堂の尖塔上にも十字架は立っているが、拡大写真は手に入らなかった。
  
  
  

5人が地中から現れたのは、オークランドの湾を挟んだ北岸。そこから大聖堂のある南岸に渡るには、自動車がなければボートしかない。距離は約2キロ。サールは、尖塔に重いピナクルを引き上げる時に使うため、馬を1頭盗んでボートに乗せる。ボートの上では、グリフィンが先端に乗り、サールが漕ぎ、アルノが立ったまま馬の面倒を見ている〔マーティンは、ピナクルが冷えてから、鍛冶屋の3人と一緒に車で大聖堂まで運ぶのに同行するため残った〕。ところが、このボートによる “航海” は、途中で原子力潜水艦が浮上して混乱する(1枚目の写真)〔ない方が良いシーン〕。サールは、対岸に近づいても大聖堂が見えないので、「教会はどけあっど〔どこにあるんだ〕、グリフィン?!」と当たり散らす(2枚目の写真)。「知っもんか!」。その後、潜航していく潜水艦をじっと見ていたグリフィンは(3枚目の写真)、目を閉じ、夢の中に入って行く。林立するビルの隙間から大聖堂の尖塔が見え、鐘の音が聞こえる。そして、いきなり、大聖堂の真下から尖塔を見上げるグリフィンが映る。彼は、「動かんで!」と叫ぶ(4枚目の写真)。グリフィンとサールが尖塔の扉から中に入る。左手に手袋をはめた誰かが梯子を登って行く。尖塔内部の螺旋階段を駆け上がる。皮手袋をはめた手が離れる。そして、誰かが落ちていく〔以前と同じシーン〕
  
  
  
  

グリフィンは、夢で見たことの一部をサールに話す。「尖塔から、僕らん〔僕たちの〕1人が落ちっ。けしんど〔死ぬんだ〕」。「だいや〔誰だ〕? だい〔誰〕が大聖堂でけしん〔死ぬ〕?!」。「分からん」。「分らん?!」。「アルノじゃなか。手が2本あった」。「おい〔俺〕なんじゃろ? おいに間違いなか。ないもかも〔何もかも〕取り上げられてきたでな。妻はお産で、赤子も一緒や。母も、ウルフも。グリフィン、わいは おいたちん運命を握っちょっ。ないとかせー。もう、おいしか残らん。おいがけしめば〔死ねば〕、血筋も途絶ゆっ」。グリフィンは、「マーティンかもしれん。僕かも。コナーに会おごたっ〔会いたい〕!」と叫ぶ。その頃、コナーは、産業廃棄物の処分場の中を徘徊していた。そして、事もあろうに待避線に停車中の電車の前部に逃げ上がる。すると、電車が動き出し、コナーは電車の最前部で恐怖で叫び続ける。ここで、コナーの電車がボートの真横を通るような映像が入るが、オークランドの北と南を結ぶ唯一のオークランド・ハーバー橋(全長1キロ)は道路橋で鉄道は通っていない。なぜ、このようなイメージが流れるのだろう?〔それに、最終的にコナーは大聖堂に行くが、そもそも、どうやって湾を渡ったのだろう?〕〔すべての鉄道はオークランド南部が北限で、湾の北に鉄道は一切存在しない〕。実際のオークランドと 映像との食い違いは別として、ここから再度グリフィンの夢が始まる。3度目の “左手に手袋をはめた誰かが梯子を登って行く” 映像だ。グリフィンの目が大きく見開かれる(1枚目の写真)。サールは、「どげんした?」と訊く。グリフィンは、夢の中で、梯子から落ちた男が、普通の皮手袋ではなく、特に長い手袋をしていたのに気付いた。そして、その手袋は、グリフィンがコナーに渡し、それをはめたコナーがグリフィンの顔に触った(2枚目の写真、矢印は長い手袋)ものだった。「落ちったぁ〔落ちるのは〕、コナーなんじゃ!」。その頃、コナーは駅に着いていた(???)。グリフィンは、一刻も早くコナーに警告に行きたいのに、サールは、「おいたちを離るっことは許さん。わいがおらんと、おいたちは めっら〔めくら〕も同然や」と、強引だ。一方、コナーは大聖堂の前に着く。そして、鉤縄(かぎなわ)を塔に向かって投げ、壁を這い上がり始める。それからしばらくして、冷えたピナクルを積んだトラックが、マーティンを乗せて大聖堂の前に到着する。その頃には、コナーは尖塔に付けられたハシゴ〔ずっと前から、鍛冶屋が設置しておいた〕に達していた。心配で気が気でないグリフィンは、いきなりボーから湾に飛び込む(3枚目の写真)。これが、解説にあった、午前2時に凍り付くような海に飛び込んだシーンだ。制約の厳しいアメリカやイギリスと違い、子役は酷使されている。
  
  
  

サールは、すぐ馬にまたがり、そのまま海に飛び込む。よほど岸に近かったのか、その頃にはグリフィンは歩いて岸に向かっていた。1人残されたアルノが片手でどうやってボートを操ったのかは分からないが、それでも最後には何とか岸に辿り着く。ひと気の途絶えた都心部の道路の中央をグリフィンが走り、その後を 馬を駆ったサールが追う。さらにそのかなり後を、アルノが走って追う。グリフィンが、とある場所に逃げ込むと、そこには壁一面にTVが。グリフィンは、その異様な光景に思わず目を惹かれる。TVの男は、「あなた方は アメリカの同盟国です。これが、1988年の現実です。世界のどこかに小さな孤立地帯を形成し、“非核地帯” と宣言することはできるでしょう。そうすることできても、それは避難場所にはなりません。これが現実なのです」〔この場面は、オークランドの湾内にアメリカの原潜がいたことと連動している〕。グリフィンが、平面の向こうでしゃべる男の映像に手を当てて、「大聖堂はどこ?」と訊くが、そこで画面は、昨夜みた変な魚(原潜)に変わる(1枚目の写真)。すると、そこにサールが入ってくる。TV画面は変わり、「…5万人を超える男性がエイズ・ウイルスの保有者になっており、世界で2000人近くが亡くなりました」と告げている〔これは、ペストと対比したものとも考えられるが、この映画が今作られていたら、対比対象は新型コロナになるだろう〕。しかし、この時点で、グリフィンはTV画面など見ていない。サールに怒鳴られていたからだ。サールは 「大聖堂や、グリフィン!」と強く迫る。グリフィンは、顔を覆って、「見失うてしもた。もう尖塔が見えん。コナーが落ちてしまうんに」と悲しむ(2枚目の写真)〔背景は、エイズ関連映像〕。サールは、ようやく優しさを取り戻し、「見つかっさ」と言うと、グリフィンを連れて 奇妙な場所から外に出る。そこに、ようやくアルノが追いつく。これで、3人が一緒になる。一方、大聖堂では、鍛冶屋のトラックの助けで、ピナクルが尖塔の先端近くまで吊り上げられるが、作業に慣れていない “カンブリアの2人” のせいで、巧く進まない。グリフィンは、目に入るものが多過ぎて感覚が鈍ったことに気付く(3枚目の写真)。そこに、偶然、杖をついて歩いている盲人を見つけ、サールに目隠しさせるよう指示する。目を黒い布で覆ったグリフィンは、大聖堂に向かってまっしぐらに進む。
  
  
  

オークランド大聖堂が映る(1枚目の写真、矢印はコナー)。2枚目の写真は、グーグル・ストリートビューの映像を、建物が垂直になるように修正したもの。尖塔の天辺にはケルト十字かどうかは判別できないが、十字架がピナクルとして立っている。尖塔の下では、ボスが指揮して、電動のウインチで、ピナクルの位置を調整している(3枚目の写真)。そこに、グリフィンに先導された3人が到着する。目隠しを外されたグリフィンは、尖塔を見上げると、すぐに 「動かんで!」と叫ぶ。これは、3つ前の節の夢(4枚目の写真)の再現だ。左手で梯子をつかみ、右手で思いピナクルをつかんだコナーは極めて不安定だ(4枚目の写真)。グリフィンとサールは、以前の夢と同じように 尖塔の扉から中に入る。アルノはマーティンのところに走って行き、「それ、危なかど!」と叫ぶ。「大丈夫や。ウインチは頑丈や。鍛冶屋たちは、よか装置を持っちょっ」。「グリフィンの夢や! 夢じゃ、コナーが落ちっ!」。すると、その警告に合わせたかのように、金具に固定してあったロープが 重さに耐えかねて切れる。何がどうなったのか さっぱり分からないが、それまでコナーが持っていたピナクルが、激しく揺れ、コナーの頭や背中に当たり、バランスを失ったコナーは、足を踏み外して両手でぶら下がる状態に。さらに悪いことに、両手でつかんでいた1枚の踏ざん〔梯子の踏み板〕が割れ、そのまま数段落下して止まる。その間も、2人は尖塔内部の螺旋階段を駆け上がる。
  
  
  
  

最初に螺旋階段の上部に到達したのは、体の大きなサール。出口の前の梯子につかまる。そこは、コナーより20段以上も下(1枚目の写真、念のため、黄色がコナー、空色がサール)。ここで、コナーは つかんでいた踏ざんを 耐えきれずに離してしまい、そのまま踏ざんを足で割りながらサールのところまで落下。コナーにぶつかったサールは、突き飛ばされる(2枚目の写真)。サールは幸い、縄梯子の下端に逆立ち状態で引っ掛かる。一足遅れて螺旋階段の上部に到達したグリフィンは、その惨状に驚き、すぐ上にいるコナーを見上げる(3枚目の写真)。
  
  
  

尖塔の下では、ロープが切れた段階で鍛冶屋が呼んだのか、警察と救急車が乗りつけ、それに伴って見物人も集まってくる(1枚目の写真)。グリフィンは、コナー目がけて縄梯子を登り始める(2枚目の写真、念のため、上がコナー、下がグリフィン)。大声で叫んでいるのは、逆さ宙吊り状態になったサール。グリフィンはコナーの真下まで到達する。コナーは、「グリフィン、危なかで離れてろ」と言うが、グリフィンは、「危なかとは、あにょじゃ〔兄ちゃんだよ〕」と反論。コナーは、「夜が明けっ前に、十字架を掲げんな〔掲げないと〕」と焦る。グリフィンは、「僕を、持ち上げて」と言う(3枚目の写真)。「やるっか〔やれるか〕?」。グリフィンは、コナーの肩に手を掛け、兄の上に這い上がる。コナーは、自分がはめていた長手袋をグリフィンに渡す。そして、グリフィンは2つに折れた踏ざんをつかみながら木の梯子を乗って行く(4枚目の写真、念のため、上がグリフィン、下がコナー)〔途中から天辺までは 鍛冶屋が予め設置しておいた木の梯子、そこから下はコナーが持って来た縄梯子〕〔突っ込みを入れると、グリフィンの夢の中で何度も出てきたシーンでは、手袋は左手にはめられてた。しかし、グリフィンは右手にはめている〕
  
  
  
  

グリフィンが梯子を登っていくところが、上から映される(1枚目の写真)〔多分、実写〕。グリフィンは梯子の最上段まで上がると〔ここは、あまりに危険だし、シルエットなので代役?〕、太陽の光が射す寸前、ピナクルの下端を、尖塔の穴に差し込むことに成功する(2枚目の写真、矢印の方向に挿入)。大切な使命に成功したグリフィンは、両手を挙げて喜ぶ(3枚目の写真)。下では歓声が上がる。サールも、何とか逆立ち状態から戻ると、「ようやった!」と褒める。鐘が鳴り、それは、カンブリアの村でも聞こえる。
  
  
  

頂点に立ったグリフィンは、水面に映る十字架の幻から目を逸らし、昇ってきた太陽を真っ直ぐに見て 目が眩む(1枚目の写真)、そして尖塔から転落(2枚目の写真)。気が付くと、彼は穴の中で絶叫していた(3枚目の写真)。3枚目の写真が白黒〔現実〕だったことで、カラー映像の部分は、すべて非現実、グリフィンの夢の中で起きた出来事だったことが分かる。
  
  
  

次に映るのは、同じ穴の中にいる大人5人(1枚目の写真)。ここで、以前、白黒映像での重要な発言を再チェックしてみよう。①マーティン: 「おいたちはやるっさ。教会まで行き、カンブリアん銅で作った十字架を高う掲ぐっど」。②アルノ:「鉱山ん後ろに古か穴があっち聞いたこっがあっ。穴はわっぜ深うて、石を投げたや、遅かれ早かれ 地球ん反対側に抜けっげな」。③マーティン:「地球ん反対側にあっ教会に、立派な献納品を持って行かんな」。そして、いざ出発となり、コナーがグリフィンに、「おいはわいと一緒に行っ。こんたおいたちが生き延びらるっ唯一ん機会や」と言った。つまり、6人は、地球の反対側に行くか行かないかは別として、教会にケルト十字を掲げるべく、村に伝わる小型のケルト十字を持って出かけたのだ。それなのに、彼らは、“鉱山の裏にあった穴” の中に少し降りたところで、一晩中 いったい何をしていたのだろう? こうした疑問を観客に抱かせないようにするためか、この場面はすぐに終わり、穴の縁に立ったコナーの妻が、「まだ、みんな そけおっと〔そこにいるの〕? 死は、あてら〔私たち〕を飛び越したわ!」と呼びかける。コナーが、「おーい」と叫ぶと、「だいも〔誰も〕、病気にならんかったんじゃ」と声が返ってくる。コナーは、グリフィンに、「わいん夢は素晴らしかった。素晴らしか話やった」と褒める(2枚目の写真)。ということは、5人は、カラー部分の映画のストーリーを、グリフィンが語るのを聞いていただけ? その証拠は、ウルフが、「おいら以外は、みんな偉大な教会に行けたどん、おいらは真っ暗な道路で立ち往生」と、話の内容に不満を漏らすことからも分かる。グリフィンは、「立ち往生しちょったんじゃなか、道路ん下を掘って反単側に出っと、持って来たマリア様〔小さな木像〕に街を見せたんじゃ」と、話の内容に修正を加える(3枚目の写真)。6人は 立ち上がると、穴を出て行く。
  
  
  

村では、6人が戻って来たのでお祭り騒ぎ。一番嬉しそうだったのは、1人でくるくる回りながら踊り出したグリフィン。夢のお陰だと思っている。しかし、ある瞬間、歓喜は一瞬のうちに消え去る。グリフィンの指が 自らの腫れたリンパ節に触れる(2枚目の写真、矢印)。グリフィンは、「死や〔死だ〕」と覚悟する。そして、コナーが長い旅から帰って来た時、抱き抱えられたことを思い出す。あの時に感染したに違いない(3枚目の写真)。
  
  
  

グリフィンは、すぐにコナーに会いに行く。そして、首を覆っていた布を剥ぎ取ると、首にペストの痕跡がある(1枚目の写真、矢印)。それを見たグリフィンは、「知っちょったんだ」とコナーを責める(2枚目の写真)。「ずっと病気やったんだ。知っちょったんじゃらせんか〔知ってたんじゃないか〕!」。その大声を聞いて、サールたちが集まってくる。グリフィンは、「なんで戻って来たんじゃ?!!」と怒鳴る。コナーは、「穴に入っまで〔入るまで〕 ペストに罹っちょっとは知らんかった。分かってからは、みんなからは距離を置いた。おいはおじかった〔怖かった〕。他にしきっこっ〔できること〕がなかったし、行っ場所もなかった。そいに、わい〔お前〕ん話を聞いて信ずっごつ〔信じるように〕なった。これこそ、救済なんじゃと」と弁解する〔コナーは、あまりに無責任で楽天的〕。グリフィンは、「僕ん夢はみんなを救うた。そうじゃろ?」とコナーに訊く。「そん通りじゃ。ペストはおいから去った。治ったんじゃ」。しかし、サールは、「失敗か? みんなけしんとな〔死ぬのか〕?」と不安がる。グリフィン:「ちごっ〔違う〕。そげんはずなか」。サール:「感染が拡がったや〔拡がったら〕…」。ここからは、グリフィンの独演。「ううん、夢じゃ1人しかけしまん〔死なない〕。1人だけじゃ。感染は広がらん。僕は村に戻らんで。脅威は去ったと、みんなに知って欲しかど。村は安全なんじゃと。みんなにそう話すど! 説得して、僕ん話を信じさせっど! ないがないでん〔何が何でも〕!! 必ずじゃ、分った? そしたや、きっと、みんな信ずっで!!」(3枚目の写真)。
  
  
  

グリフィンの最後の夢(1枚目の写真)。自分を入れた棺が、コナーの手で湖に流される(カラー映像)。そして、白黒映像に戻り。現実。コナーは、「道中ん安全を〔Godspeed〕」と祈願し、グリフィンを入れた棺を湖に送り出す(2枚目の写真)。水面にはケルト十字が浮かぶ。ウルフは十字を切り、サールは、意地悪だった過去とは別人のように、「良き旅を」と別れの言葉をかける(3枚目の写真)。悲壮感に満ちたエンディングだ。
  
  
  

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